いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-04-17

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「ほうせき編」で「砂ぼこりには、ある硬い宝石と同じかけらが含まれているよ。この宝石は何かな。」と有り、さっぱり分かりません。新聞を開いて答えを探したら「水晶(石英)」と有り驚いたものでした。解説には「石英は地球上にたくさんあって、無色透明なものを水晶と呼ぶ。硬度7と硬いので、より軟らかい宝石だと砂ぼこりでも傷がついてしまうよ。」と有り、子供の頃水晶の結晶を持っていて、勉強机の上に置いていたことを想い出しました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきました。「「身体は丈夫だね」「二、三年このかた風邪を引いた事もありません」「頭も悪い方じゃないだろう。」「学校の成績もかなりだったんじゃないか」「まあそうです」(中略)「御前は、どういうものか、誠実と熱心が欠けているようだ。それじゃいかん。だから何にも出来ないんだ」「誠実も熱心もあるんですが、ただ人事上に応用出来ないんです」(中略)「長井は、書物癖のある、偏屈な、世馴れない若輩のいいたがる不徳要領の警句として、好奇心のあるにもかかわらず、取り合う事を敢えてしなかった。」と有り父子のギャップが明らかになります。
 7時半に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指しました。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌しておきました。良く晴れた青空が広がっています。気分が良いですね。武蔵浦和駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買って一口飲んでそのまま散歩を続けました。別所沼に着いてみたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が大勢居ました。先ずは長谷川かな女の句碑を味わいました。「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」と有り情景が目に浮かぶような気がします。それから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきます。風の神エーベカトル・ケツアルコアトルに挨拶し、ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。帰路の「花と緑の散歩道」では集団登校する小学生の群れに出会いました。家に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

5限の3年生のゼミでは『『星の王子さま』を学ぶ人のために』(世界思想社)を読みました。

 2限はFさんと「ランボー読書会」を開きました。今日もミシェル・ビュトールの『ランボーに付いての即興』を読みました。『酔っぱらった船』の章に入って酔っぱらった船は常軌を逸した数々の物事を見た。それを手品師も嘘を付いたとは言えないだろう。だがランボーは詩人である船を見たのだ。その中に自分を投影したのだ。ヴェルレーヌは、三つの解釈を『酔っぱらった船』に付いて素描している。酔っぱらった船は男の魂なのだ。ランボーの存在の予言的、描写をしたものだ。と有り納得が行きました。5限の3年ゼミまでかなりの待ち時間が有ります。加島祥造さんの『老子までの道−−六十歳からの自己発見』(朝日文庫)を読みました。ラジニーニの言葉が有り「世界は不思議に満ちているのに、それは柔らかな心の人だけに感じられるのだ」と有り感心したものでした。研究室にY.N.君が尋ねてくれました。再就職を予定しているそうで上手く行って欲しいと思ったことでした。5限の3年生のゼミでは、Iさんの「宿命の女」に付いて発表が有りました。妖艶な美女だが近付く男を破滅させたり誘惑するため運命の女神が送り出した女性と考えても良いと言うことでした。Yさんの発表はシュールレアリズムに付いてのもので人間の持つ非合理性な欲望を表現するものだとの解説が有りました。輪読では『『星の王子さま』を学ぶ人のために』(世界思想社)を読みました。テクストの作者と語り手を混同してはいけないこと、語り手とパイロットが一人称単数で語る物語であることも学びました。人間も壊れやすい存在であると言うことも学びました。バオバブの挿話は、たんに植物学の話というだけでなく、私たちが今見たように、強い不安をイメージによって表したものであることも学びました。学生諸君の近況を聞いたら、近頃は雨が多く折角の春だと言うのにあまり春という気分になりません、最近では、学校が始まり、バイトをしているため遠出をすることができていません。部活での新入生勧誘期間が終わりました。入部した1年生は45人です。私のいるトランペットパートの希望者は4人です。と有りこの人は吹奏楽部に属しているのだろうと思いました。