いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-06-04

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「どうぶつえん編」で「珍しい動物を海外から連れてくることを規制する国際条約があるよ。その名前は?」と有り「禁止」と言う言葉が入ると思ったのですが、新聞を開いて答えを探したら、全く見当違いでした。「禁止」と言う言葉は入っていなくて、答えは「ワシントン条約」と有り、解説には「1975年に始まり、日本を含む180カ国・地域がメンバー。ゴリラやトラなど絶滅しそうな生き物約1千種を連れ出すことの規制が特に厳しいんだ。」と詳しい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「平岡の帰りを玄関まで見送った時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立っていた。門野も御附合いに平岡の後姿を眺めていた。が、すぐに口を出した。「平岡さんは思ったよりハイカラですな。あお服装じゃ、すこし宅の方が御粗末過ぎるようです」「そうでもないさ。近頃はみんな、あんなものだろう」と代助は立ちながら答えた。(中略)「平岡はとうとう自分を離れてしまった。逢うたんびに、遠くにいて対応するような気がする。実を言うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。」(中略)「それは三千代の結婚であった。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。」(中略)「けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼ら二人の前に突き付けた。」と有り平岡と三千代の結婚の経緯が明らかになります。
 雲が多いですが、今日は晴れると言う予報で安心して散歩に出掛けられます。7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。長谷川かな女の句碑を味わいました。「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。家に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

文学の授業では「文学理論のプラクティス」と題してお話ししました。

 11時42分の南船橋行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルニエの『孤島』(竹内書店)を読みました。「見れば一目で」の中にこんな言葉が有ります。「どこかほかのところへ! それは若者の誰もが真先に発する叫びである。若者は生命をかみあわせる、ただ欲望の歯車だけに…。一体若者は、どこかへ行けば自分の願いが満たされると思っているのか?幸福になるための、愛するための場所が、あると思っているのか? しかし若者は、そんな質問を発する人たちを軽蔑する。青年は、自分自身が自分の正しいことの証人となる特権を持っている。青年は信じる、自分が存在することを、そして自分が信じるものを証明する必要は必要はないことを。」と有りました。南越谷で下車して東武スカイツリーライン東武動物公園行きに乗りました。同僚のY先生が従業を終えて帰るところでした。教務委員のT先生から「ビデオを見せる際部屋は真っ暗にしないで下さい」との要望が有りました。文学の授業では「文学理論のプラクティス」と題してお話ししました。「ミュスティ」と「ネズミ」と対比しました。「ミュスティ」は中心統一的でノモス志向的、円輪的で閉じたテクストであることをお話ししました。一方「ネズミ」の方は脱中心的で、カオス尊重的、離散、脱円環的で開いたテクストであることをお話ししました。文学の授業が終わって帰路は「うらわ美術館」で「幕末明治の浮世絵展」を観賞しました。歌川広重の「伊勢名所二見ガ浦の図」が有り三組の女性が二人ずつ踊りを踊っている光景で背後には海も見えています。三代歌川豊国の「別荘雪見酒盛」はパネルに寄ると「風俗画に見せかけた役者絵」であるそうで、実質は当時人気の歌舞伎役者を描いた役者絵とされる。と有って中央の女性が背を丸めて立つ姿で背の高い女形の役者であることを示していると。」と有り全員が男だったことに気付いたものでした。歌川芳盛の「風流人形の図」は猿田彦と天の臼命の図を描いたものでエロティックな美人天の臼命とグロテスクな老人猿田彦との対比がコミカルでした。