山種美術館で「前田青邨と日本美術院−−大観・古径・御舟」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「長いあいだ、私は例の看板のいわれを知ろうとはつとめなかった。私はその看板が喚起するものを夢みるだけで十分だった。いわば「もっと遠いもの」の呼びかけ、蜃気楼の魅力のようなものをそこに見ていた。花屋はあるやみがにはたい夢にさそいこまれたのだ、と私は考えていた。」(中略)「旅をして何になるのか?山は山に、野は野に、砂漠は砂漠につづくのだ。私はそのはてを見ることは決してなく、私のドゥレシネアを見出すことは決してないだろう。だから、世間でよくいうように、私は長い希望を短い空間に閉じこめよう。マッジオーレ湖の貝殻の洞窟や手すりに寄り沿って暮らすことができないからには、それらに立派に代わることができるものを見出すようにすればいい!それは一体何か?そうだ、太陽、海、花は、それらがあるところならあるところならどこでも、私にとってボルロメオ島となるように私には思われる。ひからびた石の塀、いかにももろく、いかにも人間的な、そんな一つの防御物だけで、私を島のようにひとりにするこ十分だろう。」と有りました。恵比寿で下車して山種美術館で「前田青邨日本美術院−−大観・古径・御舟」を観賞しました。1000縁のチケットを買って地下の会場に入ると前田青邨の「異装行列の信長」が有り中心には信長が居て火燧袋や瓢箪をやって来たところを描いたもので、なかなか男前でした。橋本雅邦の「日本武尊」は堂々とした体格の日本武尊が左手に槍を持って立っている姿を描いたもので後ろに松の木が有り良く似合っていました。橋本雅邦の「一葉観音」は福々しい顔をした観音様で後ろに後光が射していました。梶田半古の「緑翠」は細い道を貴人が歩んでいて、緑の木陰に馬もいて、前景には川が流れています。小林古径の「弥勒」は奈良・室生村の弥勒菩薩を映したもので切り立った岸壁に弥勒の像が立っていました。古茂田青樹の「丘に沿える道」は豊かな緑に覆われた中に一本の道が通っていて、荷車も置いてありました。前田青邨の「鶺鴒」は一匹の鶺鴒が海を飛び越えようとしている画面で海も鶺鴒も美しく描いてありました。小山硬の「天草(納戸)」は両手を合わせた少女が黒い服に包まれて立っています。前方には十字架の付いたキリスト像が置いてあり、速水御舟の「炎舞」は炎が舞い上がる中に7匹ほどの蝶が居て美しい光景を醸しています。

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-08-07

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「どくしゃ編」で(松島仰輝さん・小3)の「人間の首の骨は7つ。では、キリンの首の骨はいくつあるかな?」と言うもので、さっぱり分かりませんでした。新聞を開いて答えを探したら、「七つ」と有り、解説には「哺乳類は、ほとんど全ての種類で首の骨が七つなんだ。首の短いゾウやネズミも七つだよ。同じご先祖さまから進化した名残だね。」と分かりやすい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「三千代の兄というのはむしろ闊達な気性で、懸隔てのない交際ぶりから、友達には甚く愛されていた。ことに代助はその親友であった。(中略)「国から連れて来て、一所に家を持ったのも、妹を教育しなければならないからでないという義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情愛と、自分の傍に引き着けて置きたい欲望からであった。」(中略)「代助と三千代は五年の昔を心置語り始めた。語るに従って、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返って来た。二人の距離はまた元のように近くなった。「あの時兄さんが亡くならないで、まだ達者でいたら、今頃私はどうしているでしょう」と三千代は、その時を恋しがるようにいった。「兄さんが達者でいたら、別の人になっている訳ですか」「別の人にはなりませんわ。貴方は?」「僕も同じ事です」(中略)「三千代は始めから眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛の顫える様が能く見えた。」と有りました。
 良く晴れた青空が広がって、今日も暑くなりそうですね。7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

東京都美術館で「伝説の洋画家たち」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「言ってもいいだろうか?自白してもいいだろうか?私の生活は、北方の国に移されると、重苦しくなり、詩がなくなる。詩がなくなるという意味は、単調きまわりないものにたいして、たえず新しい面を発見するきっかけとなるあの不意のおどろきがなくなるということである。それに私はといえば、私にとって新しいものにさえ単調な面を発見したものだった…。私は私をもっとよく自然に結びつけるものに心を向けた。たとえば通りを行く動物(馬や犬)に、樹木に−−ほとんどなかったが−−それから花屋のショーウィンドーの中にある鉢植えの植物にさえも。そうした花屋の一軒の看板に、「ボルロメオ島の店」という見た日の、なんというおどろき!赤羽で下車して12時19分の大船行きで移動を続けました。上野で下車して東京都美術館でシニア料金の1000円を支払って、これで三度目となるのですが、会場に入ると坂本繁二郎の「海岸の牛」が有り杭につながれた一頭の牛が全身に光を浴びて立っていて、四つの足で大地を踏み締めて立っている姿が堂々としていました。村山槐多の「庭園の少女」はおかっぱ髪で和服を着ている少女の像で花々に囲まれてひっそりと寛いでいます。湯浅一郎の「椅子によれる女」は視線を逸らし椅子に座っている和服の女性の姿で赤い和服からは、寛いだ雰囲気が感じられました。松岡正雄の「村の子供達」はパネルに寄ると故郷の子供達を描いた作品で二人が中心に立っていて、傍らにはしゃがんだ少年が二人ほど居ます。萬鉄五郎の「木の間から見下ろした町」はパネルに寄ると実験的な作品で「本の間から見える風景」をテーマにキュビズム、フォーブや表現主義的な方法を試みた一点。と有りました。神原泰の「この苦しみにわれらはいのちをかけたり」はパネルに寄ると仏哲学者のベルクソンの概念「エラン・ヴィタール」に影響を受け作品はむしろ表現主義的との指摘が書いて有りました。一階に上がると小出楢重の「帽子をかぶった自画像」が有り白い夏服、黒い帽子、椅子の上にトランペットなどが置かれていて、画面は雑然としていました。東郷青児の「超現実派の散歩」は空中に浮遊している全身白ずくめの男で月を取りたいと思って手を伸ばしていることろでした。村井正誠の「ゴルフ・ジュアンの庭」は青い物体が置いてあり、手前には植物が置いてあり、葡萄のようなものも有りました。二階に上がると宮本三郎の「家族席」が有り多数の人々が観劇をしている風景で宮本三郎の縁がある人々を描いた作品だと書いて有りました。吉原治郎の「空」は黒雲から稲光が出て灰色の雲を散らしています。国立西洋美術館の常設展もシニアは無料で見られるので見てみました。エル・グレコの「十字架のキリスト」、グイド・レーニの「ルクレティア」、ピエール=オーギュスト・ルノワールアルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」やカミーユピサロの「立ち話」、ジョン・エヴァレット・ミレーの「あひるの子」などを楽しんで国立西洋美術館の常設展を後にしました。

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-08-06

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「どくしゃ編」で(古賀彩華さん・小5、渡辺大貴小3)の「日本では夜でも外国では朝や昼のことがあるね。なぜ?」と言うもので、すぐ地球が自転しているからだと分かりましたね。新聞を開いて答えを探したら答えを探したら「地球が丸く、回転しているから」と有り、解説には「地球が回転する動きを「自転」という。太陽を向いている方が昼、反対側が夜。だから夜のテレビのニュースで外国の昼の様子が映ることがあるんだ。」と分かりやすい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「三千代は玄関から、門野に連れられて廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装をしているので、一目見た代助には、新しい感じがした。」(中略)「代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助はその向に席を占めた。」(中略)「まあ、緩くり話しましょう」といって巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなった。雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨のために、雨の持ち来す音のために、世間から切り離された。(中略)「先刻表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回りした。」と有りました。
 7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

美術館巡りから帰って3年ゼミと4年ゼミの成績を確定しました。

 先ずはうらわ美術館で「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」を観賞しました。リピーター割引の480円を支払って会場に入るときくちさきの「しろねことくろねこ」が有りパネルに寄ると「この作品は黒猫の美しい絵本が描きたいという単純な思いつきがきっかけとなって生れました。近所に住んでいたのら猫の黒猫がモデルです。黒く美しくいつも独りでいる姿がとても印象的でした。その黒猫からどんどんイメージが膨らみ物語が生れました。レナード・ハビンの「もうおねむり、ちいさなラクダ」は濃いブルーの作品で二頭のラクダが旅を進めている光景を描いています。犀や家々など関係ないものも描かれていて楽しかったですね。降矢ななの「ひめねずみとガラスのストーブ」はひめねずみがガラスのストーブを買った。森の奥で温まっていいるとひめねずみがやって来た。ストーブで温かいスープを作り二人は友達になった。したそれから埼玉県立近代美術館を訪問して「キネティック・アトー展 動く、光る、目がまわる!」を観賞しました。ウィクル・ヴァザレリの「多色3ケルビン」が有り赤や青、紫の断片が灰色の下地に付けられていて様々な形をしています。半券で「MOMASコレクション」も観賞できるので見てみました。オーギュスト・ルノワールの「三人の浴女」佐伯祐三の「門と広告」ジュルジュ・ルオーの「横向きのピエロ」などを楽しんで埼玉県立近代美術館を後にしました。
 美術館巡りから帰って3年ゼミと4年ゼミの成績を確定しました。Yさんのレポートは「イタリアの歴史について」と言うもので「イタリアの歴史はギリシャ時代から都市国家が成立したのが始まりだったと言われいている。」と始まるかなり長いもので全部は紹介できません。iさんのレポートは「ピグマリオン」にみる二つの生き方」と言うもので「男女が結ばれる」というハッピーエンドもいいが、「男女がそれそれぞれの意志を大切にし、それそれぞれの道を歩んでゆく」というのも、またハッピーエンドだと感じた。Sさんのレポートは「かぐや姫物語について」と言うもので「かぐや姫は月という「異界」の世界の住人である。聖地であり、理想郷である月は不老不死の世界であった。このことはかぐや姫と月の都からの死者の言葉をもとに推定できることができる。」、I君とIさんとM君は出席が足りなかったので残念ながら判定としました。(写真はジュルジュ・ルオーの「横向きのピエロ」です。)

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-08-05

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「どくしゃ編」で(川上浩輝さん・小2)の「大相撲の初代の横綱は誰かな。」と有り、さっぱり分かりませんでした。新聞を開いて答えを探したら、「明石志賀之助」と有り、私のまったく知らない人でした。解説には「江戸時代の明石志賀之助は「伝説の横綱」とされ、実在したのか確証はない。実質的な初代は1789年に免許を得た谷風梶之助だよ。」と分かりやすい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「雨は翌日まで晴れなかった。代助は湿っぽい縁側に立って、暗い空模様を眺めて、昨夕の計画をまた変えた。彼は三千代を普通の待合などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。やむなくんば、蒼い空の下と思っていたが、この天気ではそれも覚束なかった。」(中略)「花屋へ這入って、大きな白百合の花を沢山買って、それを提げて、宅へ帰った。花は濡れたまま、二つの花瓶に分けて挿した。」(中略)「それから机に向って、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短いものであった。」(中略)「今日始めて自然の昔へ帰るんだ」と胸の中でいった。こういい得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。」と有りました。
 6時50分に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で「旅の風景 安野光雅 ヨーロッパ周遊旅行」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「研究の行きつく先が「存在」であるか、「無」であるかは重要な問題ではない。はじめに研究はない。なぜなら、対象はつぎつぎに新しく見出されるから。そして、一つの事実が多くの事実をあつめた報告に置きかえられるように、現実は真実に置きかえられるから。無について語るならば、おそらく西欧人はもっと正直であるだろうに。しかしとにかく、幸福感は存在のしるしなのだから、幸福感がわきおこるとき、たしかにそうだ、存在は実在する。千分の一秒「放心する」だけで十分なのだ。鎖は断ちきられる。われわれの生活からほど遠い感情を持っている動物たちの生活には、おしえられることが多い。犬や鳥は、われわれの生活に何をおしえることができるか?しかし、それに反して猫や猿は…。彼らはわれわれに大きな跳躍への心構えをあたえてくれる。」と有りました。新宿で下車して東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で「旅の風景 安野光雅 ヨーロッパ周遊旅行」を観賞しました。42階に上がってシニア料金の800円を支払って会場に入ると「マルチェジーネ・ガルダ湖」が有り青く澄んだ湖が有り、その後ろに山々が見えて美しいですね。「ナポリ」はヨットが数多く停泊されていて青い旗が美しいですね。「パレルモ」の市場には人々がごった返していて活気が溢れています。人々も大勢いて何か買い物をしているのだろうと思ったことでした。「マッターホルン」は青い岸壁の手前に湖が有り、岩には家々が建ち並び、高い教会も有り遠くに白い峯のマッターホルンが見えています。「ペットワース」は教会を中心とした街並みが広がって、赤い煉瓦塀が続いています。「ネス湖」が有りネス湖の怪獣を見たと言う第一報は1933年のことで、この湖の漁業組合長からのものだった。噂話が広がり始め、三千人の目撃者が出たと有りました。「ホワースの町」はエミリ・ブロンテとシャーロットの姉妹が子どもの頃から住んでいた町が有る。緑の牧草に覆われて美しい町ですね。「葡萄畑の中の教会」は葡萄畑の中に教会が有り、傍らには木立ちも見えて美しい風景ですね。「聖夜」はオーストリアオーベンドルフの町の風景で教会が建つ中に周囲には家々が建ち並び「聖夜」の発祥の地だと言うことでした。収蔵品コーナーではポール・セザンヌの「リンゴとナプキン」、フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」、ポール・ゴーガンの「アリスカンの並木道、アルル」などを楽しんで東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館を後にしました。