いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-08-06

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「どくしゃ編」で(古賀彩華さん・小5、渡辺大貴小3)の「日本では夜でも外国では朝や昼のことがあるね。なぜ?」と言うもので、すぐ地球が自転しているからだと分かりましたね。新聞を開いて答えを探したら答えを探したら「地球が丸く、回転しているから」と有り、解説には「地球が回転する動きを「自転」という。太陽を向いている方が昼、反対側が夜。だから夜のテレビのニュースで外国の昼の様子が映ることがあるんだ。」と分かりやすい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「三千代は玄関から、門野に連れられて廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装をしているので、一目見た代助には、新しい感じがした。」(中略)「代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助はその向に席を占めた。」(中略)「まあ、緩くり話しましょう」といって巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなった。雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨のために、雨の持ち来す音のために、世間から切り離された。(中略)「先刻表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回りした。」と有りました。
 7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

東京都美術館で「伝説の洋画家たち」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「言ってもいいだろうか?自白してもいいだろうか?私の生活は、北方の国に移されると、重苦しくなり、詩がなくなる。詩がなくなるという意味は、単調きまわりないものにたいして、たえず新しい面を発見するきっかけとなるあの不意のおどろきがなくなるということである。それに私はといえば、私にとって新しいものにさえ単調な面を発見したものだった…。私は私をもっとよく自然に結びつけるものに心を向けた。たとえば通りを行く動物(馬や犬)に、樹木に−−ほとんどなかったが−−それから花屋のショーウィンドーの中にある鉢植えの植物にさえも。そうした花屋の一軒の看板に、「ボルロメオ島の店」という見た日の、なんというおどろき!赤羽で下車して12時19分の大船行きで移動を続けました。上野で下車して東京都美術館でシニア料金の1000円を支払って、これで三度目となるのですが、会場に入ると坂本繁二郎の「海岸の牛」が有り杭につながれた一頭の牛が全身に光を浴びて立っていて、四つの足で大地を踏み締めて立っている姿が堂々としていました。村山槐多の「庭園の少女」はおかっぱ髪で和服を着ている少女の像で花々に囲まれてひっそりと寛いでいます。湯浅一郎の「椅子によれる女」は視線を逸らし椅子に座っている和服の女性の姿で赤い和服からは、寛いだ雰囲気が感じられました。松岡正雄の「村の子供達」はパネルに寄ると故郷の子供達を描いた作品で二人が中心に立っていて、傍らにはしゃがんだ少年が二人ほど居ます。萬鉄五郎の「木の間から見下ろした町」はパネルに寄ると実験的な作品で「本の間から見える風景」をテーマにキュビズム、フォーブや表現主義的な方法を試みた一点。と有りました。神原泰の「この苦しみにわれらはいのちをかけたり」はパネルに寄ると仏哲学者のベルクソンの概念「エラン・ヴィタール」に影響を受け作品はむしろ表現主義的との指摘が書いて有りました。一階に上がると小出楢重の「帽子をかぶった自画像」が有り白い夏服、黒い帽子、椅子の上にトランペットなどが置かれていて、画面は雑然としていました。東郷青児の「超現実派の散歩」は空中に浮遊している全身白ずくめの男で月を取りたいと思って手を伸ばしていることろでした。村井正誠の「ゴルフ・ジュアンの庭」は青い物体が置いてあり、手前には植物が置いてあり、葡萄のようなものも有りました。二階に上がると宮本三郎の「家族席」が有り多数の人々が観劇をしている風景で宮本三郎の縁がある人々を描いた作品だと書いて有りました。吉原治郎の「空」は黒雲から稲光が出て灰色の雲を散らしています。国立西洋美術館の常設展もシニアは無料で見られるので見てみました。エル・グレコの「十字架のキリスト」、グイド・レーニの「ルクレティア」、ピエール=オーギュスト・ルノワールアルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」やカミーユピサロの「立ち話」、ジョン・エヴァレット・ミレーの「あひるの子」などを楽しんで国立西洋美術館の常設展を後にしました。