立原道造のヒヤシンスハウスの窓です。

takuzemi2007-04-22

「僕は、窓が欲しい。たったひとつ。・・・」(草稿「鉛筆・ネクタイ・窓」)
「鎌倉文士に浦和画家」という言葉があるのだそうです。浦和の別所沼近辺には、詩人・立原道造の友人である神保光太郎や画家の須田剋太、里見明正たちが住んでいました。こうした友人たちとの<<芸術家コロニー>>を夢想していた立原は、ヒアシンスハウス・風信子荘を建てて、別所沼のほとりで週末を過ごす計画を進めていたのです。東大建築科の出身である立原は数多くの設計図も残しています。残念なことに24歳8カ月という短い生涯であったため、風信子荘の夢は生前には実現しませんでした。その遺志を継いで、有志が集って夢の家を実現したのです。(「ヒアシンスハウスをつくる会」のパネルの解説を参考にさせていただきました。)