対話を通じて自分の考えが明確になります。

木曜日の「文学」のハンドアウトは様々な先行研究の内容を要約して紹介するという形式で作ってきました。言い換えれば私自身の考えを全面に押し出す形にはなっていません。漱石の存在が大きすぎて新機軸を打ち出すだけの力量が私にないことも事実です。けれども嬉しいことに、このところ少しずつ自分なりの漱石像が浮かび上がりつつあるような気もします。講義で語りながら、そうした像が明確になってくる部分もあるようです。
もう一つは「お喋りの効用」でしょうか。例えば「ランボー読書会」の相棒のFさんとお喋りしているときに、あるいは良く質問に来るゼミ生のMさんとお喋りしているときに、対話を通じて自分の考えが明確になっていくような気がします。思えば古代ギリシャの哲学者たちの故事にならって、私たちも友との語らいの中で自らの思考に形を与えていけば良いのかも知れません。
午後は大好きなJETHRO TULLなどを聴いて、まったりとした時間を過ごしました。このところ音楽もi−Podで聴いたりコンピュータで聴いたりと、すっかりデジタルの環境になってしまいました。引っ越しの時に捨て切れずに狭山から持ってきた200枚ほどのLPレコードは、押し入れの中の数個の段ボール箱の中で眠ったままで、なかなか日の目をみる機会がありません。