村上春樹さんの『海辺のカフカ』を読了しました。

takuzemi2009-08-01

昨夜は少しばかり夜更かしをして、村上春樹さんの『海辺のカフカ』(新潮文庫)を読了しました。娯楽作品としては大変に面白い傑作だと思います。けれども、クライマックスで主人公が変身をする場面もなければ、結末で読者が感じるカタルシスもありません。すべてが宙づりのままに投げ出されているという印象なのですね。偽のビルドゥンクスロマンとでも言うのでしょうか。主人公のカフカ少年は母性的な保護者としての一面を持つ「さくらさん」「大島さん」「佐伯さん」に囲まれて、受動的な存在に止まり続けているとしか見えません。とても、この少年が成長するとは思えないのですね。
今朝は起き抜けから小森陽一さんの『村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する』(平凡社新書)を読みました。村上春樹さんの『海辺のカフカ』を全否定するという立場から書かれた力作です。先ずは村上作品が下敷きとしているオイディプス神話の再検討から小森さんの分析は始まります。そして、カフカ少年の(父を殺し、母と姉と交わるという)暴力性が、幼少期にトラウマを負わされた人間なのだから<いたしかたない>と正当化されていく点に疑問を投げかけていきます。「このような形で、カフカ少年の暴力への欲望を許容し、認めてしまう方向に読者を導くことは、言葉を操る生きものとしての人間に対する、根底からの冒涜だと思います」(p.55.)と言うのですね。