明け方の夢の中で私は拓殖大学の非常勤講師をしていました。何故か日本の仏教伝来を課題としたテクストを用いています。もちろんテクストはフランス語で書かれています。解答は箇条書きで私のノートに書いてあるのですが、テクストは持っていないのです。女子学生の一人にテクストを借りて授業を進めたことでした。何とも奇妙な夢を見るものです。

 目が醒めると夏目漱石の『虞美人草』のことを思い出しました。『虞美人草』の主人公・藤尾を作者の漱石は作品の結末部分で殺してしまいます。作者と作中人物との関係は言ってみれば「全能の神」とその神が造り出した「被造物」との関係とパラレルです。だから漱石が生み出した作中人物である藤尾は漱石にとって生かすも殺すも意のままの存在だと思われるかも知れません。
 事実、漱石は藤尾を「我の女」と規定していました。(「我」とは自己主張のことです。)自我を持って男に楯突く女を漱石は目の敵にしていたのです。鈴木三重吉宛の書簡では「あれは嫌な女だ。(・・・)あ
いつをしまいに殺すのが一篇の主意である」と述べています。(『漱石書簡集I p.196.』
 漱石は『虞美人草』の結末で藤尾を殺してしまいました。ところが藤尾は死ななかった。今でも数多くの読者たちを魅了し続けている漱石作品の中でも花形のキャラクターに生まれ変わったからです。ジェンダー論などの流行の波を超えて、今では藤尾の中に自分の同類を読み取る女性の読者も増えています。この作品の作中人物として立派に生き続けていると言えるでしょう。
 漱石に殺されたことで藤尾は逆説的にですが永遠の生命を手に入れたと言えるのかも知れません。それと同時に漱石の方でも藤尾に祟られました。