国立新美術館で「ルーヴル美術館展」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルニエの『孤島』(竹内書店)を読みました。「イースター島」の中にこんな言葉が有ります。「そのような恐怖をはらいのけるために、そのころ私は研究に没頭していた。それは自分にとって絶対に役立たないとわかっている研究であったが、私は手あたり次第に何でも夢中に読んだ。美術館、図書館が私をひきつけた。」と有りました。池袋で下車して原宿に向います。明治神宮前我孫子行きに乗ると二駅で乃木坂に着きます。乃木坂で下車して国立新美術館に向います。国立新美術館で「ルーヴル美術館展」を観賞しました。会場は混み合っていて、観客の後ろから覗き込まなければなりません。ぶらんこの画家の「黒像式ヒュドリア頸部アンフォラ」が有り三人の人物が描かれていて、中央に居るのは女性で傍らの二人の人物は仮面を付けていて顔は分かりませんでした。マリヌス・ファン・レイメスヴァーレに基づく「朝税吏たち」は税金を取り立てることに夢中の朝税吏を描いたもので、いかにも欲深そうな表情をしています。ダーフィット・テニールス3世の「トランプに興じる人びとのいる衛兵詰所での聖ペテロの否認」はトランプ遊びに興じる人々が目立っていて、聖ペテロは女の人に捕まえられていて自由が利かないように感じられました。ジョバンニ・パオロ・バニーニの「神殿から追い出される商人たち」は題名通りの絵で中央の商人は転んでいて左手を上げて助けを求めています。ルーカス・ファン・レイデンの「トランプ占いの女」は無表情の女がトランプ占いをしている場面で様々な見物人が彼女を取り巻いています。小品ながらリアルな描写で感心したものでした。セバスティアーノ・リッチの「サチュロスと農夫」は下半身が馬の身体を持つサチュロスが農夫と向き合っています。傍らには農夫の婦人が赤ん坊を抱いてその場を見つめています。ユーディト・レイステルの「陽気な集い」は左には肥満した女性が居て、右にはヴァイオリンを手に持った男が居て今にもヴァイオリンを弾き始めそうな画面で、二人とも笑顔を浮かべていて幸せそうな画面でした。ジャン=カミーユ・コローの「身づくろいをする若い娘」は若い娘が粗末な服を着て身づくろいをしている画面で、彼女の若さだけが取りえだろうと思ったことでした。(写真はジャン=カミーユ・コローの「身づくろいをする若い娘」です。)