東京芸術大学美術館で「ヘレン・シャッフルベック魂のまなざし」を観賞しました。

 今日は会議も授業も語学選択オリエンテーションも有りません。午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「どれほど自分を、他人に、または大きい目的のためにささげようと、どんな苦痛を耐え忍ばおうと、それがものとものとの関係についての明確な認識や必然への純粋な服従によってなされているならば、実行にあたってずいぶん労苦をともなうとしても、やろうと肚をきめるのに努力はきらないはずである。だから、その結果として、どんな逆戻りも、充たさねばならぬ真空も、報いへの望みも、恨みも、堕落も起こりようがない。」と有りました。赤羽で下車して上野に向います。東京芸術大学美術館で「ヘレン・シャッフルベック魂のまなざし」を観賞しました。先ず1500円のチケットを買って三階に昇ると「静物」が有り頭蓋骨とその影が描かれていて、死を意識していたことが分かりました。「妹に食事を与える少年」は貧しい兄が妹に食事を与えています。貧しい子供たちの暮らしが思いやられました。「母と子」は両腕で幼子を抱き締めている母親が描かれていて、母親の愛情を強く感じたものでした。「日本の花瓶にはいったスミレ」は気分が軽くなるような作品で、気分がほっとしました。「マリア」は後ろ姿の女性の肖像で顔も判然としません。けれど白い服を着ていて高貴な雰囲気が漂っていました。「赤いリンゴ」はぼやけたリンゴが五個置かれていて輪郭ははっきりしません。テーブルには白い布が置かれていてリンゴの赤を引き立てていました。「黒い背景の自画像」はパネルに寄ると女性画家であることを誇るかのように、桃色の口紅と胸元の大きなブローチを自分で飾っています。一方、黒い背景は墓石のように自分の名前を記しています。早くも自分の死を意識していたのだと思われました。国立西洋美術館の「ボルドー展…美と陶酔の都へ」も観賞しました。先ず1600円のチケットを買って地下三階の会場に入ると「角を持ったヴィーナス」が有り大きな乳房をして角を右手で持っています。お臍の穴も大きく開いてユーモラスな像だと思いました。二階に上がるとトーマス・カルートンの「トゥルニー公爵ルイ=ユルバン・オーベールの肖像」が有りハンサムな公爵の肖像で海運業で功績が有ったと言うことでした。シャルル・ジョゼフ・ナトワールの「化粧するヴィーナス」は鏡に映して自分の姿を見つめています。周りには天使たちが居て彼女の美しさを讃えています。ミシェル・マルタン・ドロランの「賢明」は少女が裸で横たわっている構図で、頭には月桂樹の冠を被っています。ボルドー展のチケットで常設展も見られるので見てみました。ロレンツォ・レオンブルーノ・ダ・マントヴァの「キリスト降誕」はキリストの誕生を祝う天使たちに付き添われた聖家族の姿が色鮮やかに描かれていました。ベーテル・パウルルーベンスの「豊穣」、ピエール=オーギュスト・ルノワールアルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」やカミーユピサロの「立ち話」ウイリアム・アドルフ・ブーグローの「少女」ポール・ゴーガンの「海辺に立つブルターニュの少女たち」などを楽しんで国立西洋美術館を後にしました。