会議のない「会議日」はありがたい。o(^0^)o

今日は「会議日」なのですが、私は有り難いことに会議の予定が入っていません。朝は自宅で読書、それから近所のSTARBUCKS COFFEEでも読書しました。読まねばならない論文を一本読み上げました。昼前に大学に移動して書類やメールに目を通しました。午後は少々、図書館で調べ物に時間を費やしました。漱石の『三四郎』のあらすじの解釈そのものが、読み手によって異なるのに驚いています。例えば角川文庫の山本健吉氏による「作品解説」では、三四郎と美禰子との関係は次のように解説されます。「この小説においては、無意識下に置いては、美禰子は三四郎にひかれていながら、意識の上ではその愛を否定している。そこに彼女の言動の上での謎−−少なくとも若い三四郎にとっては−−が生まれてくるのであり、その謎と矛盾とコケットリーとに満ちた言動に三四郎は次第に惹かれてゆくのである。」pp.325-326.一方、玉井敬之・村田好哉編『漱石作品論集成【第五巻】三四郎』(桜楓社)所収の酒井英行「広田先生の夢−『三四郎』から『それから』へ−」は、千種キムラ・スティーブン氏と同様に「結論から先に言えば、美禰子が愛していたのは野々宮であって、三四郎ではない」(p.127)と、一刀両断で切り捨てています。みなさんはどう読みますか?