『三島由紀夫とテロルの倫理』を読了しました。

takuzemi2007-06-27

千草キムラ・スティーブン著『三島由紀夫とテロルの倫理』(作品社)を読了しました。著者はニュージーランドカンタベリー大学で日本語教育に従事している方です。後書きにあるように「ニュージーランドで日本文学を教えはじめてからは、毎年のように学生たちに三島の割腹死の理由のついて聞かれた」(p.285)というのが、この問題について調べ始める切っ掛けだったようです。三島の作品の文学としての側面はあえて無視して、「純粋天皇復活」へ向けた三島の行動と論理のみに絞って著者は分析していきます。そして三島にとっての「至福の時」を次のように位置付けます。「戦争の時代こそが、三島の信じた「現人神」をいただく宗教的規範や、彼の特恵的生活の規範秩序、および彼の政治的信念とが、すべて一致していた至福の時であったことが判明する。そしてその至福の世界の崩壊をもたらしたものこそが、天皇の「人間宣言」であった。少なくとも、三島はそう信じていた。」(pp.108.-109.)
そして戦争の現実に目を向けることのなかった三島の現実忌避が、奇矯な論理と行動を引き起こしたと結論付けます。もし三島が一兵卒として従軍していたらという仮定は誘惑的ですね。「三島と親しかった作家石川淳は、三島の自決後、「もし三島二等兵が上官に『天皇陛下の御為に』と叱咤され、三八式兵銃をかついで大陸を行軍したり南海の孤島の死守を命じられていれば、平和の一日一日は天恵の日々でこそあれ呪うべき腐敗ではなかったろうに」といった」(p.108.)とあります。従軍体験を持った三島が存在していたら? 色々と空想してしまいます。