水村美苗さんの「男と男」と「男と女」とは?

午後の3時を回ったら露骨に作業の能率が落ちてきました。早めに作業を切り上げて帰路に着きました。春日部回りで大宮に出て、LOFTのジュンク堂に寄りました。岩波文庫夏目漱石『倫敦塔 幻影の盾』とワイド版 岩波文庫の『三四郎』を買っておきました。(ワイド版に入っている漱石はそのうちに全部そろえるつもりです。)・・・移動中の車中では水村美苗さんの「「男と男」と「男と女」−−藤尾の死」(片岡豊編『夏目漱石 2』若草書房所収)を読了しました。「『虞美人草』の藤尾はなぜ殺されるのか」を分析した秀逸な論文です。漱石の世界はもともと「男と男」(例えば坊ちゃんと山嵐)が何かの大義によって結び付いていた世界だと論者は言います。そうした「男と男」の世界を裏切るものてして「男と女」(例えば藤尾と小野さん)の世界が出現すると、『虞美人草』以後の重苦しい後期の漱石の世界が現れると言うのですね。以下は引用です。「漱石は「藤尾的なもの」を明確にしようとすればするほど「藤尾的なもの」に何ひとつ罪を帰すことができなかっただけではない。「藤尾的なもの」に何ひとつ罪を帰すことができなかったことによって、「藤尾的なもの」を殺す不当を訴える「近代小説」をいつのまにか書いてしまっていたのである。」(p.172.)と水村さんは決論づけます。漢文学的なものと英文学的なものの対立という切り口も納得のいくものでした。