熊倉千之さんの『漱石のたくらみ』を読了しました。

takuzemi2007-09-17

午前中は自宅の居間で読書を楽しみました。熊倉千之さんの『漱石のたくらみ』(筑摩書房)を読了しました。昨日、鎌倉までの往復の車中でも読み耽っていた本です。まことに面白く漱石の『明暗』を解読しています。著者の視点は新潮文庫の注釈の(三)にもあるような、主人公の津田の肉体上の治療と精神的な治療とがパラレルだという着眼にあります。つまり、津田の痔の穴の快癒と清子を喪失した精神的な穴の快癒とが平行するものとして結末へと進行していかなければならないはずだという確信です。この著者の確信は二度にわたる親しい同僚との「『明暗』読書会」から生まれたものであるらしく、その読書会の過程で著者は漱石にとっての「完全数28」の発見と『明暗』全228章という確信を得たのだと、筑摩書房のサイトでお書きになっています。短い文ですが著者のご自身の読解に対する自信のほどの明快なマニフェストになっています。(下記URL)
徹底した精読、熟読に裏付けられた説得力のある論旨には感心しました。しかも読んでいてスリリングで引き込まれてしまいます。著者と「遊さん」との対話風の(あるいはブログ風の)コラムの挿入も楽しく、漱石先生への熱い思いを読者も共有したくなります。著者は新潮社版「明治の文豪」CD−ROMを愛用しているらしく、別の論文ではGREP検索による統計的な処理を活用しています。(下記URL)この本の中にも文末の「た」についての分析がありますが、やはり検索による統計処理に基づいた裏付けを利用しています。このあたりの手法にも感心しました。最終章の推理の部分では、清子が津田のもとを去っていった理由が明快に示されています。津田が最終的には「馬鹿になっても構わないで進んで行く」という「則天去私」の境地にたどり着くだろうという結末の推理も、精読、熟読の繰り返しが生んだ素直で「単簡」なもので、納得がいきました。(写真の左半分は本体の装丁、右半分はカバーの装丁です。たくらんでいますね。(^0^;;;)

漱石がとり憑かれた「二十八」
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0611/061103.jsp

日本語による文化情報処理について
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsik/honkai/newsletter/No45html/kumakura.html