山崎博昭君、一日遅れの命日です。

takuzemi2007-10-09

朝の武蔵野線が遅れたために、辛うじて始業のチャイムが鳴る直前に大学に着きました。研究室に駆け込んで、慌しく教材を調えました。大慌てで721教室へと駆けつける途中で、強烈な香りが鼻を突きました。キャンパスの中庭の金木犀の花が、こぼれ散りながら強い香りを放っているのです。・・・この花の香りは、私にとっては一人の友人の死と結びついています。「あっ! 昨日は山崎博昭の命日だったのだ」と気づいて絶句しました。1967年10月8日、羽田闘争の中で死んでいった青年の40年を経ての命日だったのです。その日を忘れていた自分にも呆れました。しばらくキャンパスの金木犀の下で立ち尽くしてしまいました。
その頃の大学でのフランス語の授業は導入されたばかりのLL教室で行われていました。当時はまだ大型のオープンリールのテープを使うテープレコーダーで授業が行われる時代でした。大橋保夫先生の指導で、基本文型の変形練習を何度も繰り返してたたき込まれたのも懐かしい思い出です。けれども山崎君が非業の死を遂げてから、私はLL教室での授業のたびに彼の不在を確認せずにはいられなかったのでした。なぜなら授業は座席固定制で、私「やまもと」の前の席は毎回、不在の「やまざき」が占拠していたからです。暗い秋でした。
今日の授業は正直、乗りません。細かなミステイクを連発して、授業の流れが掴めない感じなのです。授業の始めと終わりにはビデオを少々見せました。教材提示機では江戸東京博物館で行なわれている「漱石展」のカタログを見せて情報提供しました。代名動詞などの文法も説明しました。大声を出して頑張っているつもりなのに声が通らないような気がします。何とか午前の2駒の授業を片付けて学生食堂で昼飯にしました。4年のゼミ生の諸君と出くわして少々立ち話をしました。(雨上がりのキャンパスを7階の踊り場から見下ろしてみました。)