M君とベケットの『モロイ』を読みました。

takuzemi2007-10-15

朝は所用のため銀行に寄ってから大学に移動しました。総務課に提出しなければならない書類があり、職員のAさんに不備な部分の書き方を教えてもらいながら何とか書き込みを済ませました。雑用を一つ片付けてから研究室に移動し、堀田善衛先生の『ミシェル 城館の人』の第1巻を読み上げました。
午後の3限は「ベケット読書会」です。今日もM君とベケットの『モロイ』をフランス語版で読んでいきます。独特の散文です。二種類の和訳とM君の所有の英訳を参照しながら読み進めていきますが、一番の謎はこの散文がいかにして書かれたか?・・・という点ではないでしょうか。アラゴンは『冒頭の一句または小説の誕生』(新潮社)でベケットの散文を絶賛しつつ次のように書いています。「サミュエル・ベケットの小説にあの比類のない性格をあたえているもの、それは果てしなく始めるということだ。おわかりになるだろうか? ぼくはこう言いたいのだ。それらの一つ一つの小説の、最後の一語さえが最初の一語なのだ、と。たどられた道は終わったところから始まる、と。その一つ一つの文章が始まりであり結末である、と。この、人をいらだたせる迷子のような散文ほど、あの音楽の時間に似ているものはない、と。」(渡辺広士氏訳)・・・M君は大学院入試が終わって一安心したためか、読書意欲が旺盛になってきた様子です。「前から読みたかったんです。貸してください」と言ってソレルスの『公園』の原書と訳書を持っていきました。