「ベケット読書会」を楽しみました。

takuzemi2008-02-12

久し振りにM君との「ベケット読書会」を楽しみました。あのモロイが「そうしたことやその他のことを考えるようになったのは、ぼくが生きることをやめてからにすぎない」(三輪秀彦訳)などと語りつつ、話者の語りつつある現在が話者の死の語りであることをほのめかすような場面を読み進めました。それにしてもベケットの文章は面白い! スリリングな言葉の運動に読者である我々も背筋に電流が走ってしまいます。・・・モロイが自分が駄目な人間なのは自分のせいではなく、「supérieur」(先輩たち)が自分に大切な原理原則を教えてくれずに、細かなことばかりを叱ったからだと語る場面があります。三輪秀彦氏は「先輩たち」と訳しているこの単語がなかなか難しく感じました。ベケット自身は簡単な意味で使っているのかも知れません。けれども我々日本人は抽象度の高いフランス語を具体性のある日本語に訳すときに色々と苦労します。三輪氏の訳と安藤氏の訳ではだいぶ異なります。
ところでM君はこの部分でのモロイの言葉を「従わざるを得ない存在」に対する反発と取りました。これはさまざまなレベルにまで敷衍することが可能です。例えば、たまたまある国に生を受けて、ある国語を母語として育った人間は、その母語という「言語=制度」も「従わざるを得ない存在」ですよね。これを受容するか反発するかという葛藤がベケットの文章の中にも読み取れるのではないか?・・・などと二人でお喋りを楽しみました。
帰りの道も冷たい雨になりました。元荒川沿いの桜並木は晴れた日には散歩を楽しむ人々が集うのですが、今日は人影もまばらでした。散歩の途中でお年寄りがよく休んでいる木のベンチも今日は雨に濡れていました。