読まれる対象として囲い込まれる美禰子を考えました。

昼休みには3年ゼミ生のMさんが研究室までやって来ました。色々とお喋りを楽しみました。熱心な人でスペインに関心があります。今は堀田善衛の『ゴヤ』(新潮社)を読んでいます。色々と話したいことがあるのですが、午後の授業の準備に取り掛からねばならず、時間切れになりました。

3限の文学の授業では松下浩幸さんの「『三四郎』論−「独身者」共同体と「読書」のテクノロジー−」を紹介しながら漱石の『三四郎』を再度、読み直してみました。(松下さんの論文は藤井淑禎編『日本文学研究論文集成26 夏目漱石1』(若草書房)に収録されています。大変に面白い論文が詰まった本です。)

三四郎の周辺にいる本郷文化圏の男たちは、広田も原口も野々宮も独身者です。その独身者たちが生息する場所は野々宮の実験室や原口の画室というヴァリエーションはあるものの、基本的には「書斎」です。この書斎で、独身者たちは対象である「書物」に対して一方的に優位な関係を築いていきます。そこから対象を読む主体としての男たちが生まれます。こうした対象に対する「読む主体」としての優位性と批評的読解の態度は、読解される対象である女たち(例えば美禰子)にも同様に適用されます。「女たちは男たちのように「読む」主体としてではなく、常に「読まれる」対象として囲いこまれる」と言うのですね。