会議の一日が終わると、ぐったりしています。

午後は会議が並びました。なにしろ昼休みの12時30分から臨時の文学部教育実習委員会が入ります。私は会議があるのを知らずに面談のため呼び出した学生と話をしていました。実習係のNさんから「会議ですよ」と呼び出されて驚きました。慌てて続いて来るはずの面談の学生諸君に「急な用事ができたので明日の同じ時間に研究室まで来てください」と研究室の扉に張り紙をして会議室に移動しました。・・・会議は色々と議題が詰まっています。慌ただしく議事を片づけて午後の1時からのキャンパス教育実習委員会に移動しました。こちらでも色々の議題を片づけてから10分ほどの休み時間が入ります。・・・再び3号館の7階に移動して残りの文学部の教育実習委員会の打ち合わせとなりました。
会議の一日が終わると、ぐったりしています。久し振りにコリン・ウィルソンの『賢者の石』(創元推理文庫)のことを想いだしました。人間の生と死の謎に取りつかれた主人公が、価値観を持たぬ者ほど死にやすいという仮説をもとに、価値体験を求めるというような物語です。(内容の理解は曖昧です。)このウィルソンの小説の中に「意識が外界に向かっていかない状態」を「原罪」と呼ぶような一節が出てきたような記憶があります。「集中」ではなく「拡散」ができるようなフレキシブルな意識の状態をウィルソンは称揚していたような気がします。漱石の小説で言うと集中派の健三や一郎ではなく、拡散派の敬太郎や二郎や宗助の系列がそれでしょうか。