外圧によるFD推進では、大切なものが忘れられてしまいます。

takuzemi2008-06-18

1限の「英語研究基礎演習」の授業では『知へのステップ』の第8章を読み進めながら、感想文とレポートとの違いを学びました。レポートをまとめ上げるまでのさまざまなステップについても確認の作業をしました。最後に「朝日新聞」の最近の記事から「小学生に携帯電話を持たせるのは是か非か」という内容のものを読んでもらいました。三人の識者の意見が併記されている、なかなか興味深い内容です。読み終わってから、自分の意見を述べる小作文と取り組んでもらいました。
授業の冒頭でも学生諸君に紹介したのですが、「教育研究所ニュース」(2008.6. 第28号)の巻頭言で所長のH先生がなかなか面白い感想を書いています。H先生は最近、大学を退職なされた3人の先生の話を立て続けに聞く機会があったと言います。その3人の先生方が口をそろえて「良いときに大学をやめさせてもらった」と口にされたと言うのですね。今の大学は変わったねという感慨でしょうか。
H先生は「大学の最大の特長は、学問の自由を核とするまさに<自由>にあった」と続けます。そこでは「一見、何の役にも立ちそうもない研究が、伸び伸びと行なわれ」ていたと懐かしみます。今の大学にはそうした緩やかな自由は生きているのだろうかと私も自問してしまいました。「大学におけるFD(Faculty Development)は、自発的な取り組みというよりは、外圧によるやむを得ぬ取り組みなのではないか」の一行には、ぎくりとさせられました。漱石が日本の近代化について、外発的な開化であり、内発的な開化ではないと言っていたことを思い出しました。では、内発的な、言い換えれば自発的な授業内容や教育方法の向上へ向けた取り組みはどこから生まれるのでしょうか? 悩ましい宿題です。
午後は会議の連続となりました。1時からは学科の会議、2時40分からは教授会、教授会終了後はもう一つの臨時の会議が入りました。それでも無事に一日が終わって、ほっとしました。明日は手間の掛かる「文学」の講義が学生大会のために休講になっています。多少は楽の出来そうな予感がしています。