初回の講座で少なからず緊張しました。

始業の時間よりも少々早めに教室に移動しました。もう3名ほどの受講生の皆さんが集まっています。お喋りをしながら提示機などのセッティングを済ませました。本番が始まりましたので「多文化理解コース」のゼミ運営に色々と苦労した話題から語り始めました。何かコアになるようなテクストが欲しいと思っていたところで石原千秋先生の本と出会った経緯を話しました。漱石の『三四郎』をゼミで読むうちに、読む人によって読解にかなりの差が生じることを発見したことも語りました。千草キムラ=スティーブンさんの『三四郎』論の内容も紹介しました。
ここでコーヒーブレイク代わりのDVD鑑賞です。『ユメ十夜』の中から比較的、原作に忠実に作られている「第三夜」を見て気分を変えました。後半はこのDVDを追い掛ける形で柄谷行人氏の「内側から見た生」を紹介しながら『夢十夜』などの作品に描かれている漱石存在論的不安とでも言うべきものを考えてみました。『坑夫』などにもこうしたイメージは色濃く書き込まれています。人間の意識が奇妙な狭さに囚われていて、そこから外に出ることができないのが「原罪」なのだとするコリン・ウィルソンの説を応用するなら、漱石は意識の狭さの現象学を小説の形で追求し続けた作家なのかも知れません。・・・講座の終了後も受講生の皆さんと雑談を交わすことができました。朝日カルチャーセンターの小森陽一先生の講座の常連の方もいらっしゃいます。皆さんが充実した毎日を送っているのに感心しました。