北田暁大氏の「みえない多文化都市」を読みました。

学生食堂が混雑している昼休みの時間帯にはむしろ研究室で一仕事を片付けることにしました。来週から3回ほど担当する予定の「情報処理と言語文化」のハンドアウトを作る作業です。実は昨日の午後、古いワープロを立ち上げて感熱紙にデータを打ち出しておきました。これに赤ペンで修正を加えて少しずつ原稿を確定して行きます。一時間半ほどで何とか一仕事が片付きました。・・・学生食堂で遅い昼食を済ませてからデジタルカメラをぶら下げてキャンパスを一回り散歩しました。5号館の前の森を通り抜けていたら音楽の教室から素敵な歌声が聞こえてきました。声楽の授業中なのです。(それにしてもキャンパスの中には竹やぶまであるのですね。)
5限の3年ゼミでは『ちくま評論選』所収の北田暁大(きただあきひろ)氏の「みえない多文化都市」を読みました。電脳化の進行によって都市も電脳アーカイヴ化している状況を江戸川区に住むインド人の事例や大久保のインターネットカフェに集う中国人の事例から分析しています。彼らにはもはや都市の「アウラ」(=オーラ:人や物が発する霊気や独自な雰囲気)は必要ないのです。故郷とのアクセスの可能性だけがあれば良い。外国人に取っての問題だけではない。日本人の若者たちに取っても都市は「脱アウラ化」していくと北田氏は分析します。渋谷もかつては舞台性=アウラを持った街でした。しかし90年代を転機に渋谷も「脱アウラ化」したと言うのです。大変に面白い評論でした。