すっかり「遊歩者」になってしまいました。

奈良時代高句麗から渡来した高麗王若光の一族に思いを馳せると、一帯の風景も渡来人の築き上げた土地の姿なのだと思われてくるから不思議です。「出世橋」で高麗川を渡って農道を蛇行しながら駅への道を歩きました。
高麗川駅前まで戻って食堂を探しましたが良いスポットが見当たりません。川越まで移動することにしました。川越線の車中では持ってきた水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)を読み進めました。まだ半分ほどしか読み終わりません。感想は読了後に記すことにします。
川越駅で下車して「アトレ」で遅い昼食を済ませました。繁華街の「サンロード」はクリスマス前の街歩きを楽しむ人々で一杯でした。紀伊国屋に立ち寄って文庫本を物色しました。(新潮文庫の『本格小説』上下2巻は今日は見送りました。)
年末の繁華街を歩いていると風景の中に自分の意識が溶け出していくような一種の陶酔感にとらわれます。意識の「集中と拡散」についてボードレールが書いていたような記憶が蘇りました。今日の私はすっかり「遊歩者」になってしまいました。(写真は高麗川の風景です。)