『虞美人草』を読み進めました。

takuzemi2009-05-10

朝は起きぬけの時間から珈琲問屋のコーヒーを飲みながら漱石の『虞美人草』を読み進めました。美文や漢文が平常の会話文に並行して出没する大変に読みにくい文章です。実はそこが面白いのですが。(^_^;;・・・
主人公である藤尾のクレオパトラのイメージを付与されたど派手さ、英文学を学ぶ秀才の小野さんの並外れた優柔不断さ、哲学者・甲野さんの言われもない鬱屈、外交官試験を目指す宗近君の正義感・・・と、いずれの登場人物の描き方も類型的に過ぎるような気がします。(だから詰まらないとは言いません。むしろそこが面白過ぎるのですね。)
漱石は和漢洋に渡って豊富な知識に裏付けられた手持ちの技法の全てを、初めての新聞連載小説であるこの作品に投入しようと意気込んだのでしょうか。その結果、「何でもあり」のジャンルの混交が出来(しゅったい)したように思われます。「ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴をもち、口から火を吐くというギリシャの神話の怪獣」(大辞泉)であるキマイラのような継ぎ接ぎの作品です。
宗近君が担っている「真面目」という倫理も嘘臭いなと感じてしまいます。そんなことで世間の軋轢が片付かないことは作者の漱石が一番分かっていたはずです。「悲劇」とか「死」とかの言葉にも重みが感じられません。
でも、この作品は漱石が懸命に書き上げた、娯楽作品であり、エンターメントなのだと考えると新たな読み方が可能だという気もします。論理的整合性は破綻していても、面白さは最高の作品なのですから。