私は代助と三千代に「生きろ!」と言います。

午後の時間は松元寛氏の『漱石の実験』(朝文社)を読み進めたり、インターネットで「ミヒャエル・ソーヴァ」を検索したり、大学時代の友人たちにメールを送ったりして過ごしました。夏目漱石の『それから』(新潮文庫)も何度目かの読み直しを続けています。松元寛氏は『それから』の代助が、結局は消極的で自閉的な世界から一歩も出ていないのではないかという疑問を提出しています。「代助の真剣な「積極的生活」の決意(中略)が、その意図に反して、漱石の精神の基底部に無意識の欲求として蟠踞している、より強力な消極的生活への願望に屈した」(『漱石の実験』(朝文社)p.108.)のではないかと言うのですね。(私はこの解釈には不満があります。)
漱石の後期小説の結末は、いずれも読者に「お前はどう読むのか?」と問いかけてくるような「結末なき結末」の様相を呈しています。『それから』の代助が真っ赤なラストシーンからどちらの方向に進むのか?・・・これをこそ、漱石は読者に問い掛けているのではないでしょうか?・・・代助と三千代に対して「お前ら、頑張れよ!」と言う読者を選ぶか、「あかん、こいつらアホや!」と言う読者を選ぶかということだと思います。私は代助と三千代に「生きろ!」と言います。