夜は一家でフランス料理を楽しみました。

彼岸過迄』は風呂の後、停留所、報告、雨の降る日、須永の話、松本の話、そして結末の7つの章からなる短編連作が連なって全体を形成するように作られています。冒頭の視点人物の田川敬太郎は『三四郎』の小川三四郎に似たようなタイプの青年です。言わば自分の欲望に無自覚な(あるいは自覚しているが語らない)視点人物であるとも取れます。美禰子に対する三四郎の視点のようなものが、千代子に対する敬太郎の視線の中にも読み取れるものかどうか探してみました。
須永市蔵の(継)母の血縁である田口要作と松本恒三を核とする姻戚関係のサークルの中に敬太郎はしだいに職を得て出入りするようになっていくわけですね。そして最後の「松本の話」で須永がこの姻戚関係のサークルの中で、実は孤児でしかなかったことが語られる。残酷な結末です。「須永の話」の末尾が千代子の須永への非難の言葉「卑怯だからです」の断言で唐突に断ち切られる手法や、田口要作と田川敬太郎の「田」の頭韻には、読者の深読みを誘うための漱石のたくらみが感じられないかなどと、一冊の本を種に色々と夢想の時間を楽しみました。
夜は一家でフランス料理を楽しみました。息子の誕生祝いです。武蔵浦和のBistro UNは美味しいですよ。(写真はアンの一皿です。)

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