大学図書館でのんびりと読書を楽しみました。

午後の時間は大学図書館でのんびりと読書を楽しみました。『漱石作品論集成【第九巻】行人』(桜楓社)、『漱石作品論集成【第十巻】こころ』(桜楓社)、「漱石研究 第6号 特集『こころ』」(翰林書房)などなどの本です。気の向いた本を拾い読みして怠惰な時間を楽しみました。
三浦雅士さんは岩波新書の『漱石 母に愛されなかった子』でも『行人』を取り上げて「『行人』は不快な小説です。夫婦の危機という不快な題材を扱っているから不快なのではない。主題に真正面から向き合っていないから不快なのだ。(中略)一郎とお直は決して向き合わない。漱石は、向き合わせることを回避している。なぜか。自分を批判的に分析するよりも、正当化することのほうに気を取られてしまったからだとしか思われない」(p.159.)と手厳しく批判しています。翰林書房の「漱石研究 第十五号 特集『行人』」所収の「恋愛と家父長制−『行人』ノート」でも一郎の自己正当化を非難しています。
私も『行人』の再読の作業に取り掛かったところです。三浦さんが上記の論文で触れているように「異質で余分なものに思える」「Hさんの手紙を取り除けば、小説の山場が、二郎とお直と一夜を過ごす和歌山の場面にあることは疑いようがない」(p.36.)という意見には大いに賛成です。漱石の体調不良のために執筆が中断された後に付け加えられた「塵労」を削除して、「友達」「兄」「帰ってから」の三章を、二郎とお直の関係から「可能態としての(あり得たかも知れない)物語」として読み直してみたら、なかなか面白いのではないでしょうか。