「二郎とお直が結ばれ、一郎は絶望して自殺する?」

午後は「漱石研究 第十五号 特集『行人』」(翰林書房)の中のある論文をスキャナーで読み取って、バグ取りも半分ほど済ませました。ところが半分ほど読み進めるうちに不満が出てきてしまいました。どうにも「頭」で書かれた論文で、「こころ」で書かれた論文とは思えないことに気付いたのですね。(理系の息子は「論文にこころが有り得るかよ」と私の意見を簡単に切り捨ててしまいましたが。・・・)
バグ取りの作業を中断して大岡昇平『小説家夏目漱石』(ちくま学芸文庫)の「文学と思想−『行人』をめぐって」を読みました。大変に面白い。「二郎とお直が結ばれ、一郎は絶望して自殺する」(p.415.)と言うような「可能な結末」を想定できると言うのですね。
『行人』執筆中の大正二年には漱石に三度目の精神的発作があり、「幻覚を伴った被害妄想があった」(p.418.)とのことで、漱石の愛弟子の小宮豊隆の証言によると『行人』は漱石のある時期の家庭の状況を描いたものだということになるのだそうです。
漱石作品論集成【第九巻】行人』(桜楓社)に収められた伊豆利彦「『行人』論の前提」を大岡昇平氏は絶賛しています。余りにも文字が小さいのでマンションの1階のローソンで拡大コピーを取ってきて読んでみました。一郎の「思想」が語られる「塵労」を無視して、二郎とお直の「こころ」を素直に読み取ってみようという提案で、「ありえたかも知れない」(可能態としての)物語を浮き彫りにしています。大変に感銘を受けました。