「ランボー読書会」を楽しみました。

takuzemi2009-06-26

汗ばむような暑い朝となりました。湿気が高くてむっとします。軽装で出掛けることにして、ジーンズと半袖のポロシャツで家を出ました。
10時40分からの2限は相棒のFさんと二人で「ランボー読書会」を楽しみました。Fさんの苦心の下訳をたたき台にして、二人で訳文を検討しながら、ブリュネルのランボー研究書を読み進めました。毎回、ある意味では単調な繰り返しの作業です。『明暗』を書き続けていたころの漱石の言葉を借用するなら「苦痛・快楽・器械的」ということになるのでしょうか。アスリートに取っての日々のトレーニングのようなものかも知れません。
昼休みには漱石の『道草』を読んで過ごしました。「健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に所帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍しさのうちに一種の淋し味さえ感じた。」という「冒頭の一句」の中の「遠い所」という言い回しが意味ありげです。漱石の唯一の自伝的作品と言われる『道草』ですが、漱石は健三に自己を投影しながら、自身の過去へのまなざしを鋭く投げかけていきます。熊倉千之先生の『漱石の変身』(筑摩書房)では、この作品を御住と健三の「出産競争」と捉えています。御住の第3子出産へのプロセスと健三の作品(『吾輩は猫である』?)脱稿へのプロセスとがシンクロナイズされていると言うのですね。