「和敬塾」でK先生の読書会が待っています。

夜は「和敬塾」でK先生の読書会が待っています。前回は都合が着かずに欠席してしまいました。今回は漱石の『彼岸過迄』についての先生のお話しがたっぷりと聞けるということで意気込んで家を出ました。
埼京線で池袋に出て、山の手線に乗り換えて目白で下車しました。(チョコレート色一色の山の手線を見かけました。)目白からはバスで10分と掛かりません。目白台3丁目で下車すると「和敬塾」は目の前です。今夜も和敬塾のスタッフのSさんを始め、いつもの常連が集まりました。
K先生の『彼岸過迄』を読む切り口は、新潮文庫などを始めとする文庫本には収録されている漱石の「彼岸過迄に就て」という文と『彼岸過迄』の終章の「結末」という文とを物語り全体を括る「枠」として読めないかというものでした。言い換えれば田川敬太郎に焦点を当てて読むという立場です。須永市蔵に焦点を特化して読むと、田川敬太郎の「冒険」に意味がなくなってしまいます。市蔵の苦しみを主題として読むと、「作品のテーマが分裂している」と読めてしまうと言うのですね。では、敬太郎の「冒険」をメインテーマとして読み直す可能性はどのあたりから裏付けられるのでしょうか。若い方々からも活発な発言があり、大変にスリリングな時間を楽しめました。活発な質疑応答が続いているのですが、私は10時には抜けさせていただきました。1限からの明日の授業が心配なのです。