『オイディプス王』を読了しました。

午後は研究室で読書を続けました。ソポクレスの『オイディプス王』(岩波文庫)を読了しました。「父を殺し、母と結ばれる」という恐ろしい運命の進行が見事な筆致で描かれていて、読者に有無を言わせません。自らの手で自らの両の目を刺し貫く場面には異様なまでのドラマの高まりが感じられます。明らかにオイディプスは自らの運命をそのようなものとして受容しているのです。
午後の空き時間には図書館まで往復しました。漱石の『彼岸過迄』を学び直そうと思っています。漱石研究の本がずらりと並んでいる書架から2冊ほどの研究書を選び出して借りておきました。
5限の4年生のゼミでは山本吉左右氏の「連歌と民衆の言葉」を読みました。戦国時代の武将や侍たちが口頭的な言語を媒介とする共通の言語空間を共有していたとするエッセーです。「オヤジギャグ」的な駄洒落が発せられると、場の全員がどっと笑い転げるような言葉を共有する感覚が戦国の日本には有ったと言うのですね。こうした口頭言語は江戸時代になると文字言語に取って代わられてしまうと筆者は主張しています。原初の混沌のごとき口頭言語を共有するユートピアを夢想してしまいました。(ゼミ生のA君とお喋りしていたら、藍蓼祭の期間中に何と「地獄谷温泉」まで足を伸ばしたと言います。私が行った直後に現地を訪れたらしく、「雪が降っていた」と言います。)