澁澤龍彦の「胡桃の中の世界」を読みました。

午後は研究室でアラゴンの『死刑執行』を拾い読みして過ごしました。批評家の加藤典洋氏が村上春樹の小説に関して用いている「換喩的小説」という言葉がアラゴンの後期小説を解読するキーワードとしても有効ではないかと考えたからです。ある事柄について語るために別の事柄について語るという手法はアラゴンにも良く見られます。失踪した妻ブランシュを語るために老言語学者ゲフィエが若い娘マリ・ノワールのことを語る『ブランシュまたは忘却』はその良い例だと考えました。村上春樹の世界を一回りしてから漱石なりアラゴンなりの世界を再訪することを夢想しています。
5限の4年のゼミでは12月に予定されている英文科との合同の中間発表会の段取りを打ち合わせました。と言っても論文題目、学籍番号、氏名、そして数行の論文要旨をメールで送ってもらえば済むことです。今日は雨のために欠席者も多かったので後日全員にメールして周知徹底することにしました。
輪読は澁澤龍彦の「胡桃の中の世界」を読みました。ミシェル・レリスの引用を枕に、だまし絵やミニアチュールが精神に与えてくれる一種のめまいに似た感覚を論じています。いかにも澁澤らしい「偏愛的」なテーマです。「現実の世界はばらばらに分散し拡散しているので、これをミニアチュールとして凝縮して提示しない限り、ついに世界を支配することは私たちにとって不可能なのだ」の一行にミクロコスモスを愛した澁澤の素顔を垣間見る思いがしました。