「キズキ」くんは「気付き」なのではないかな?

takuzemi2009-12-30

村上春樹さんの『ノルウェイの森』に出てくる「キズキ」くんは「気付き」なのではないかと大した根拠もなく考えたことがあります。何への「気付き」なのかと言えば、自分が抱え込んでいる「欠落」への「気付き」ですね。欠落、喪失、取り返しが着かぬもの、元に戻らぬもの、永遠に失われたもの・・・そうした不可逆な喪失を抱え込んでいる状態に自分が置かれていることに「気付く」ところから村上さんの小説は始まるように思われるのです。
東京奇譚集』(新潮文庫)の最後に収められている「品川猿」は「ときどき自分の名前が思い出せなくなった」という「冒頭の一句」で始まります。アラゴン流の言い方をするなら、この一句が「物語り空間への入り口」であり、不思議の国に迷い込んだアリスの言う「ごっこ遊びをして遊びましょう」という言葉に相当するのですね。この一句から「小説の嘘」が始まる訳です。大田区にあるホンダの販売店で働いている二六歳の「安藤みずき」が自分の名前を欠落させるという仮定に対して、どのような展開や結末が可能なのかという物語の運動が始まるのです。
そんな訳で今日も午前中はロッキングチェアーに揺すられながら村上さんの短編集を楽しんでしまいました。どの作品も大変に面白く、色々な思いを誘ってくれるものでした。