加島祥造さんの『老子までの道』を再読しました。

本棚から一冊の本を手に取る時に何が起こっているのでしょうか? 昔読んで面白かった本を日曜日の午後に再び手に取るような時にです。著者に対する懐かしさのような感情ももちろん有るのかも知れません。(まだお会いしたことのない著者の場合が圧倒的に多いはずなのですが。・・・)
そんな感じで加島祥造さんの『老子までの道−六十歳からの自己発見』(朝日文庫)を再読し始めたら面白くて止まらなくなってしまいました。「無理をせずに、心の声に従いつつ生きる」という「タオ(道)」の生き方が分かりやすい文章で書かれています。ところで昨日の私は、この本で語られていることとは正反対の読書の「生産性」を夢想していたのでした。読書メモの取り方を工夫してみれば勉強が捗るだろうと考えたのです。例えば村上春樹なり夏目漱石なりについての短い論文を素材にして、読書メモの取り方を練習したらどうだろうと考えたのです。先ずは「走書体」のノートで一次メモを取ります。ページ数や行数は略号でメモし、引用したい部分はその書き出しの部分だけをメモし、その他の略記法も工夫してみれば面白いだろうと言うわけです。そして、間を置かずにザウルスでデジタルの二次メモを完成させる訳です。二次メモを取る時点で、当然論文は再読される訳ですから、論文の内容が頭にすっきりと入るはずだとも考えました。必要とあれば二次メモをもとにして文章に書き上げることもできるでしょう。・・・ところが加島さんの本を読んでいたら、そんな効率優先の読書がひどく貧しいものに思われてきてしまいました。読書に「生産性」ばかりを求めるなんて、余りに世知辛い読み方ではないでしょうか。