相棒のFさんとランボーのテクストを読みました。

takuzemi2010-02-25

 今日は久し振りに「ランボー読書会」の予定が入っています。暖かな朝です。革ジャンパーから薄手のジャンパーに着替えて家を出ました。武蔵野線の車窓からは紅白取り混ぜての梅の花が遠景に望まれます。北越谷から大学までは荷物が重くて大変でした。
 大学に着いて本の整理に取り掛かりました。ジュンク堂で買った和書とフランス図書で買った洋書が中心です。後で大学図書館に運んで登録してもらわなければなりません。
 10時40分からは相棒のFさんとランボーのテクストを読みました。ブリュネルの脚注をすべて読んでいくと手間が掛かります。「おお 季節よ 城よ/無疵な魂などどこにいよう」(宇佐美斉訳)の有名なフレーズを読みました。「錯乱?」の部分をすべて読み終えました。
 作者であるランボーの主体は『地獄の季節』の一人称の語り手にどのように投影されているのでしょうか。鈴村和成氏が村上春樹に関して「偽の自伝」を書いていると指摘していたのを思い出しました。「つまり自分に似たものを「僕」に投影していくんですけど、しかし同時に自分からは切り離されて、書く主体としての村上よりも向こう側に行ってしまった自分というものをつくっていく」と言うのですね。(『[国文学解釈と鑑賞]別冊 村上春樹 テーマ・装置・キャラクター』至文堂)ランボーの主体もそのようなものとして在るのかも知れません。