ランボーは「俺は眩暈を定着した」と書き留めています。

takuzemi2010-03-11

 暖かな朝になりました。元荒川沿いの桜並木を歩いていると、桜のつぼみが膨らんでいるのに驚かされます。桜の開花までもカウントダウンの時期に入っているようです。出津橋を渡って対岸の河川敷に出てみると、たっぷりの日差しを浴びて若草が萌えているのが見られます。川岸のベンチの周りにも濃い緑の草むらが生い茂っていました。
 10時40分からは相棒のFさんとの「ランボー読書会」を楽しみました。気温が上がって暖かくなったのは有り難いのですが、Fさんも私も実は花粉症です。読書会の合間に何度もくしゃみが出て止まりません。これには困りました。
 ランボーは『地獄の季節』の中の「錯乱?」の章で「俺は眩暈(めまい)を定着した」(Je fixais des vertiges.)と書き留めています。研究者のブリュネルはこの一文の中に互いに矛盾する二つのベクトルを読み取っています。「定着する」(fixer)とは言葉を用いて対象の形を明確にし、対象を捉える方向性でしょう。ところが「眩暈(めまい)」(des vertiges)とは、そうした言葉による対象把握を常に逃れ去るような「言葉では表現できないもの」の意味でしょう。「言葉にならないことを言葉にする」ということが詩人の仕事なのですね。ランボーはとりわけこの一点に力を注いだ詩人だったと言えます。言葉にすることと言葉にならぬものとの二つを同時に追い求めること、この二つの方向性の間で苦闘していたランボーの姿が浮かび上がってきました。