村上春樹の読点の打ち方の巧さには感嘆してしまいます。

 3分冊ある加藤典洋氏の『村上春樹イエローページ』(幻冬舎文庫)の1冊を持ち歩いては、少しずつ読み進めています。村上春樹の文体は「英文を翻訳したような文体だ」とか「日本語の味がない」とか、批評家たちからは批判されることが多いようです。本当にそうなのでしょうか。私はむしろ、ストイックなまでに引き算をしていく、計算し尽くされた端正さが村上春樹の文体の基底をなしていると考えています。村上春樹の作品をスウェーデン語に翻訳している翻訳者母娘の話が新聞に出ていたのを思い出しました。引用してみましょう。「村上作品の翻訳者はデューク・エイコさん、ユキコさん母娘。ユキコさんは「楽々と読めるようで、文章が密。翻訳して言葉を並べ替えてみると、読点の位置すら動かせないことがわかる」と語る。」(2009年09月21日 朝日朝刊)このユキコさんの言葉には我が意を得たりと思いました。村上春樹の読点の打ち方の巧さには日頃から感嘆の念を感じているからです。村上春樹にはランニングをメタファーとして「書くこと」を語る資格が充分にあるのだと考えています。
 お腹の具合が余り良くありません。昼食を抜くことにしました。私は朝食は取らない主義なので、今日は二食連続で欠食となってしまいました。余り元気が出ません。早めに帰宅しました。夕食を待ちながらの夕方の愉しみはNHKの「漢詩100選」のDVD鑑賞です。このところTV5の方はお留守になっています。「東洋回帰」の方向性でしょうか。しかし、詩の音律の美しさは洋の東西を問いません。(実は吉田加南子さんの『フランス詩のひととき』(白水社)なども少しずつ読み進めているところです。)中国語の原音で聴く能力はありませんが、江守徹さんの朗読にいにしえの中国の詩人たちの感興を聞き取ろうとしています。