この一句を発句にして下手な独り連句を楽しんでいます。

 「春泥を遥か港に下る道」・・・この一句を発句にして下手な独り連句を楽しんでいます。実は友人たちとの連句の中で一度使ったことのある句です。数年前の小樽旅行の記憶をもとにイメージをまとめました。独特の愛着があり発句として使ってみたのです。
 30年も前の話です。大学院のゼミの先輩から突然の電話をいただきました。小樽商科大学でフランス語の講師を募集している。応募してみる気はないかという話でした。母の病気もあって、遠い小樽に移転するのもままならず、先輩の話はお断りしました。けれども、この一件から私にとって小樽は「行ってみたい街」となっていたのです。(前身の小樽高商は伊藤整小林多喜二の出身校でもありますし。・・・)
 その後、現在の職場で働くことになりました。数年前には春スキーを楽しむスポーツ好きの同僚たちと春休みの札幌の旅を数回に渡って楽しみました。
 スキーの苦手なH先生と私とは二人で連れ立って文学館や記念館を巡って時間を過ごしました。北海道立文学館では吉田一穂の詩、中城ふみ子の短歌の先に田中五呂八の川柳を発見して、その人間把握の絶妙さに二人で盛り上がったものでした。
 H先生が退職なさった翌年は、春スキーの同僚たちに加わったものの、単独行動の数日間となりました。その中で、もしかしたら自分が教員になっていたかも知れない小樽商科大学を訪れたのでした。
 日当たりの良い晴天の一日でした。地獄坂の傍らの側溝の中を雪解け水が大きな音を立てて流れていました。融け残った雪の間からは大振りの蕗の薹が逞しく頭を出していました。高台にある商科大学のキャンパスからは遥かに小樽港が見下ろせました。