幼なじみのK君と思いがけなく出くわしました。

 98年の5月末に狭山市から武蔵浦和に引っ越しました。12年ほどが経っているのですね。昔住んでいた狭山の土地の様子もすっかり様変わりしてしまいました。一戸建ての建て売りが続々と建てられている現状です。今日は息子にもそんな変化を見てもらうという意図もありました。現地の視察を済ませてから息子の通っていた小学校を見るために徒歩での移動を開始しました。
 駅へと続く長い坂道の下で幼なじみのK君と思いがけなく出くわしました。小学校の頃から鉱石ラジオ、ゲルマラジオ、真空管ラジオの作り方を指導してくれた先達です。私のハンダ付けの腕前が良いのはK君の技術指導のたまものなのです。1級上のK君とは中学の放送部でも一緒に活動した記憶があります。
 長い坂道をK君とのお喋りを楽しみながら、ゆっくりと登り詰めました。新宿へ出掛けるというK君と別れて、本川越に移動しました。「六代目いちのや」で美味しい鰻重をいただきました。食事を済ませてから、成田山喜多院、中院・・・と寺社巡りを楽しみました。有名な中院の枝垂れ桜はまだ開花していませんでした。それでも、早咲きの桜が二本あり見物客を楽しませてくれました。
 丸広百貨店の前のサンロードは休日の一日を出歩く人々で混雑していました。私たちもそぞろ歩きを楽しみました。川越駅まで歩くとさすがにぐったりしてきました。狭山と川越を合わせて5〜6キロも歩いたでしょうか。帰路のJRの中では三人とも居眠りをしてしまいました。(夕方には漢詩のDVDを一時間ほど楽しみました。写真は成田山の「眼病予防、視力回復」の絵馬です。鏡文字の「め」の字が面白いですね。)