川村湊さんの『村上春樹をどう読むか』の前半を読みました。

takuzemi2010-04-10

 今週は火曜日の2年生向けのオリエンテーションが色々と大変でした。水曜日の会議、木曜日と金曜日の初めての授業も無事に乗り切りました。初回の授業では自分でも気付かぬうちに頑張り過ぎてしまうようです。週末には反動がきて、ぐったりとしてしまいます。土曜日の朝は停滞して過ごしました。メモ用のA6のノートと「走書体」のアイデアノートにインデックスを付けて楽しみました。
 そろそろまた独り連句を再開してみたいと目論んでいます。今回は発句の季語を「夏」にすると決めました。メモ用のA6のノートに「夏兆し」「初夏(はつなつ)の」「矢車草」・・・などと思い付きを書き記しているうちに、少しずつイメージが沸いてくるようです。
 川村湊さんの『村上春樹をどう読むか』(作品社)の前半を読みました。川村さんは以前は村上春樹に対して好意的なスタンスを取っていたのだが、しだいに批判的にしか見られなくなってきたと記しています。そして、村上春樹が「9.11事件」や「グローバリゼーション」の問題の意味を考えることから無意識的にせよ逃れようとしているのではないかと批判しています。(『海辺のカフカ』を徹底的に批判した小森陽一氏の立場と似ていますね。)
 けれども村上春樹の仕事の本質は言葉や物語を通じて生身の一人の人間の生きざまを見ることにあるのではないでしょうか。あり得たかも知れない架空の「もう一つの生」を理解してみようと言っているのではないでしょうか。村上春樹が大状況を描かないと批判することは的を外れているように思われます。村上春樹は初期作品から常に地図を持たない個の側からの視点で語ってきたからです。