独り連句を楽しんでいると、ゲーム性の醍醐味が強く感じられます。

takuzemi2010-04-12

 俳句や短歌の定型という枠が束縛としての一面を持っていることは否定できません。しかし、定型という枠は同時にゲームの規則としての側面も持ち合わせているようです。独り連句を楽しんでいると、こうしたゲーム性の醍醐味が強く感じられます。枠という規則に身をゆだねていく楽しみというものがあるのです。朝の起き抜けの時間は、仕事もそっちのけにして、しばらく独り連句まぼろしの天馬」の巻の冒頭の部分を手直しして楽しみました。(イメージの流れは、何となくランボーの放浪編という感じです。)
 ここ数年間に書きためてきた「文学」の講義録のファイルが7冊ほど溜まっています。時々読み直さないと内容を忘れてしまいます。面白そうなところを読み直して、講義の際にアドリブ的に挿入してやろうと考えました。もっとも、授業は「生もの」ですので、素材の良し悪しだけでなく、当日の乗りの良さ悪さにも左右されてしまいます。なかなか思うようには行かないものですね。
 地下のゴミ置き場にゴミを捨てに出掛けました。それから近くのスーパーまで食品の買い出しに出掛けました。本降りの雨です。余りの寒さにびっくりしてしまいました。昨日の暖かさが嘘のようです。この気温の大きな落差には身体が参ってしまいそうです。
 インターネットを利用して「演劇論」の授業のための下調べを続けました。なかなか詳しい情報を得ることのできるサイトもいくつかあります。URLを明記した上で、テキストファイルにしてデータを採っておきました。個人的な勉強用です。Wzエディターのアウトライン形式にしておくと、「見出し+本文」の形になって検索に便利です。(教室にまでデータを持っていけば安心でしょうか。)