今日は『彼岸過迄』について自分でも楽しい話しができました。

 午後の3限は「文学」の講義です。今日は漱石の『彼岸過迄』について語りました。先ずは漱石自身の投影人物である松本恒三を起点にして、その二人の姉の嫁いだ先である田口要作と須永の家を黒板に板書しました。それから田口の娘である千代子と百代子、須永の息子である須永市蔵を次世代の位置に板書しました。もちろん千代子と市蔵がいとこ同士であることも強調しました。最後に市蔵の友人としての田川敬太郎の名を黒板に板書しました。これは『彼岸過迄』の小説の展開とは逆の説明となります。
 おおむねの「関係図」を説明してから、今度は佐藤泉氏の『漱石 片付かない<近代>』を紹介するハンドアウトに沿って『彼岸過迄』のさまざまな問題点について考えてみました。一番の問題点は漱石ほどの小説の達人がなぜこんなに破綻だらけの小説を書いたのだろうかという疑問です。考えられることは読者にとって破綻と見えるところに漱石の新機軸があるのかも知れないということです。例えば市蔵に対する千代子の非難の言葉「卑怯だからです」で唐突に中断される「須永の話」の章は、小説技法的には破天荒な禁じ手のように感じられます。それだけに千代子の肉声は逆に読者に強烈なインパクトを与えると言っても良いでしょう。
 今日は『彼岸過迄』について自分でも楽しい話しができました。残り時間の20分ほどはDVDの『ユメ十夜』の中から第6夜を選んで学生諸君に見てもらいました。監督は松尾スズキさん、運慶を演じるのはダンサーのTOZAWAさんです。素晴らしいダンスはロジェ・カイヨワの遊びの分類の中の「眩暈」(めまい)を思い出させるものでした。