中原中也の「帰郷」の中の一節が頭の中に浮かんできました。

takuzemi2010-06-20

 朝は家人と連れ立って9時過ぎに家を出ました。狭山の天岑寺まで墓参に出掛けるのです。武蔵野線で移動を開始しました。新秋津で下車して、秋津の町で墓参用の花束を買い求めました。秋津の駅で西武線に乗り換えて狭山市駅を目指しました。・・・久し振りに訪れた狭山市の駅はすっかりリニューアルされて表情が変わっていました。東口に出るのに結構時間が掛かります。駅からはバスに乗って終点の狭山台団地まで移動しました。
 山本家の菩提寺の天岑寺までは高台となった農地をはるばると横切らなければなりません。かんかん照りの炎天下となっていて汗が流れてきます。家人は日傘を差して紫外線対策を怠りません。十分ほども農道を歩いて天岑寺の裏山に到着しました。こんもりとした森の中に古びた墓地が点在しています。森の中を墓地に向かって歩いていたら、中原中也の「帰郷」の中の一節が頭の中に浮かんできました。「これが私の故郷(ふるさと)だ/さやかに風も吹いている/心置きなく泣かれよと/年増婦(としま)の低い声もする//あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・/吹き来る風が私に云ふ」・・・有名な一節ですね。
 森の中に一本だけ引かれた水道の蛇口と流しが用意されています。そこで桶に水を汲んで我が家の先祖代々のお墓へと移動しました。草むしりや掃除を済ませてから、お墓に水を掛けて洗い流しました。線香を立てて合掌してから、父と母に近況を報告しました。向かいのH家の墓に墓参に来ていた老婦人としばらく立ち話を楽しみました。森を抜けて天岑寺の本堂に移動しました。