生産的な「果実」はそう簡単には実ってはくれません。

takuzemi2010-08-11

 昨夜は久し振りにM君と会えて嬉しかったためでしょうか、少々飲み過ぎてしまいました。朝は起き抜けにシャワーを浴びて、身体をさっぱりとさせました。毎日、本を読みながら、少しずつ講義録や論文の種となりそうな原稿を書き貯めていくというのが、この夏休みの基本的なスタンスであるはずです。ところが、なかなか思惑通りには行かないのですね。今朝もだらだらとアラゴン関連の本を読み進めたものの、生産的な「果実」はそう簡単には実ってはくれません。
 気分転換に古い小型のテープレコーダーと古いカセットテープとを引っ張りだしてきました。ジャック・シャンセルの「ラジオスコピー」という昔の番組を聴いてみました。恐らく30年から40年ほども前に放送されたラジオ番組ではないでしょうか。サルトルロラン・バルトフランソワーズ・サガンなどの有名人が出てきて、60分間自分を語るというものです。今日は大役者のジャン・ルイ・バローの声を聴いてみました。
 午前中は居間で稲田三吉先生の訳したアラゴンの『バーゼルの鐘』(三友社出版)の序文「ここからすべてが始まったのだ」を読み直して過ごしました。シュルレアリスムの詩人であったアラゴンがレアリスムの作家として再出発することになった経緯を自ら回想する形で書かれた1964年の文章です。(発表は1965年)レアリスムを擁護する立場から書かれている文章なのですが、この小説の「冒頭の一句」である「ギーがロマネ氏をパパと呼んだとき、そのことで誰も笑いはしなかった」という一行が生れてきた経過は、まるでシュルレアリスムの自動筆記のようにも感じられます。