漱石についての講義録の種がどっさりと出てきました。

 クーラーを使っていないので、午後はかなり暑くなりました。室温で35度ぐらいまで行っているのでしょうか。書斎に移動して机に向かいました。まずは小さなノートパソコンを起動して、親指シフトのキーボードを接続しました。エディターを立ち上げて、三四郎の視線についてのブレンストーミングを楽しみました。出来上がったテキストファイルはドロップボックスに入れておきました。
 『iPad2ハイパーナビゲーター』(技術評論社)を読んでいたら、日々の作業をリデザインする効用についてのコラムがあります。リデザインとは、もう一度全体を見直し、デザインし直すという意味だそうです。仕事の乗りの良くないときに、仕事の組み立て方を考え直してみることでしょう。夏休みの一日にはこのリデザインという作業を組み込んでいくのも良い方法だと思います。
 漱石の俳句で講義録を一本書きたいものですね。漱石の文学的出発の原点には正岡子規との出会いが、そして俳句との出会いがあるのです。そこには正岡子規とのコラボレーションの側面も見られ、友への呼びかけも見ることができます。俳句は一種の社交性に基づくものであり、贈り物として考えることもできるのです。そこには死者へのはなむけの一句も少なくありません。宮井一郎先生のように初恋の人へのオマージュを読み取る人もいます。
 二年ほど前に書いた漱石についての講義録の種がどっさりと出てきました。 iPhoneのDragon Dictationを利用してこれをテキストファイルにしてみることにしました。書斎の机に向かってノートを開いて音読していきます。修正すべきところはキーボードを利用して修正します。今日は講義録もたくさん書くことが出来ました。なかなか充実した日曜日となりました。