もっとリラックスして日常の生活音を楽しみたいものです。

 先日の春先の暴風雨の時には早めに社員を帰宅させた企業が多かったようです。その帰宅風景を目撃した一人の方が朝日新聞の投書欄に次のような趣旨の投書をしていたのを思い出しました。耳にイヤホンを突っ込んで音楽を聴きながら歩いている人が多いが、あれは外界への感覚を塞いでしまって、何か危険が迫ると危ないのではないかと言うのですね。その投書者はもっと日常の生活音を楽しむようなライフスタイルの方が豊かではないかと締めくくっていました。私もこの方の主張に同感です。日常の生活音は私という存在が世界の中の一定の位置に存在していることを保証してくれるものに感じられるのですね。
 午後は正育堂文具店に出掛けました。KOKUYOのFillerNoteが無くなってしまったからです。以前はノート類は何冊か買い溜めをする習慣が有ったのですが、この頃は一冊ずつ買うように行動を改めました。駅前の須原屋書店まで足を伸ばして、文庫本二冊と単行本一冊を買い求めて帰宅しました。
 午後はしばらくは読書をして時間を過ごしました。集中力がないので数冊の本を取り替えながら読むという読書法になってしまいます。シェイクスピアを読んだり、Facebookの解説書を読んだりという散漫な読書法ですね。余り生産的な読書でないことは自分でも分かっているのですが止められません。
 週末に居間のコンピュータを起動したままでいると、ついつい買わなくても良い商品を買ってしまうことがあります。今日も午前中はオリビア・ハッセー主演の『ロミオとジュリエット』のDVDを買ってしまいました。午後は午後でポメラDM100のケースを探していたら欲しいものが出現しました。いずれもAmazonのワンクリックで購入というところが心憎いですね。