ジャン・グルニエの『孤島』の中の言葉を思い出しました。

takuzemi2012-05-27

 昨日は夕方の駅前広場のベンチの上で風に吹かれていたら、ジャン・グルニエの『孤島』の中の言葉を思い出したものでした。帰宅してから書斎の本棚から『孤島』を引っ張りだして開いてみました。奥付を見ると1968年3月15日第一刷と記してあります。訳者は井上究一郎先生、出版社は竹内書店です。井上究一郎先生は私が大学に入った年に退官なさったばかりだったと記憶しています。4月に先生の最終講義が行なわれて、聴きに行ったという記憶が残っています。先生の赤いネクタイが黒い背広に良く似合っていたのを記憶しています。
 ジャン・グルニエの『孤島』が私に与えてくれたショックを思い出しています。私たちが大学に入った1967年は「参加(engagement)」の時代でした。社会参加して世の中の流れを変えていくべきだという考えが主流の時代でした。そんな時にグルニエの『孤島』は人間の一人一人が本質的には孤独な存在であり「孤島」なのではないかと問い掛けたのですね。安易に「連帯」などという言葉が使えない孤独の中に人間の本質を据えたわけです。『孤島』の中の何篇ものエッセイはソフトな感じです。それらは「こんな生き方もある」というケースを提示するものでしかありません。しかし、そこには「世の中」の外でも生きて行けるという強烈な「社会不参加(détachement)」の意志が感じられるのですね。ほとんど「出家」への意志と読むことさえできるのかも知れません。