『こころ』の「先生」が自殺した訳は何なのかを考えてみました。

 午後からの授業です。午前中は居間のデルのデスクトップを起動して、仕事のメールのやり取りをしました。昨日、シャープのザウルスを利用して打ち込んでおいたジャック・プレヴェールの『書物のページ』をワードに乗せて教材にしておきました。それから残りの文学の講義で何を語ろうかを考えました。一人作戦会議ですね。自分が面白いと思うテーマを語るのが基本方針だと結論づけました。3回分ほどのハンドアウトをプリントアウトしておきました。まだまだ検討する必要があります。
 3限の文学の授業では松元寛氏の『漱石の実験』(朝文社)からの抜き書きを再構成したハンドアウトを配布して『こころ』の「先生」が自殺した訳は何なのかを考えてみました。松元氏の論理では〈自分の世界〉に閉じ籠もっていた「先生」の前に〈他人の世界〉から「私」(青年)が求愛してきたことを重視しています。この「私」(青年)が「本当に真面目」であることが「先生」にも分かったために、「先生」は他者である「私」(青年)を受け入れようと決心したのだと読むのですね。「先生」は「私」(青年)に〈自分の世界〉をさらけ出すことを決心します。これは「先生」に取って〈自分の世界〉から出て〈他人の世界〉へ入り込むことを意味します。なかなか面白い講義となりました。
 放課後は中国文学科のK君という学生が研究室に遊びに来ました。シュルレシリスム、不条理文学、マジックリアリスムなどについて教えてくれというのです。大変に良く本を読んでいる学生さんです。最新の芥川賞作家の作品も読んでいます。この学生さんとお喋りをして放課後を過ごしました。その後で明日のゼミの教材を少々作っておきました。プレヴェールの詩を読んでみるつもりです。タイトルは「書物のページ」です。(写真は出津橋のたもとの赤目ヤナギです。青々と緑の枝葉を伸ばしています。)