私は言葉遊びの一種である回文に凝っていたことがありました。

 川越からの帰り道は東武東上線川越市駅から帰ることにしました。家人が駅までの近道を良く知っていて案内してくれました。川越市駅でも連絡が良くて待たずに急行の池袋行きに乗ることが出来ました。朝霞台で下車して武蔵野線に乗り換えて帰宅しました。
 ところで西武線に乗って狭山に向かうときに狭山市駅の一つ手前の入曽(いりそ)駅でおかしなことを思い出しました。「入曽の中にはお尻がある」という説なのです。
 若い頃に私は言葉遊びの一種である回文に凝っていたことがありました。土屋耕一さんの傑作『軽い機敏な仔猫何匹いるか』なども愛読していました。上から読んでも下から読んでも「カルイキビンナコネコナンビキイルカ」ですね。土屋さんの超絶技巧に感心した記憶があります。
 家人と人形町鯛焼き屋「柳家」さんに出掛けると「妻を連れ鯛焼き焼いた列を待つ」などという回文が出来ました。「ツマヲツレタイヤキヤイタレツヲマツ」ですね。こんな回文頭の状態が高じてくると言葉の意味よりも音の方に敏感になってしまうようです。そんな状態で、入曽の駅を通りかかった時に「入曽の中にはお尻がある」ことを発見してしまったのですね。ヒントはローマ字表記です。このヒントだけで答えになっていますね。
 けれどもテクストの中に書き込まれた音が作品の重要なテーマを暗示する指標となることがあることは『漱石の変身』で熊倉千之先生も指摘しています。『門』の主人公・野中宗助の変身を予告する「ぎろり、ごろり、ぎらぎら」・・・などのGの音の畳韻がその一例です。(写真は「いちのや」さんをデッサンした切り絵の絵です。壁に飾られていたものですが、残念ながらちょっとピンぼけになってしまいました。)