夏目漱石の『行人』を読んで時間を過ごしました。

 ゼミのある5限まで長い空き時間が続きます。来週の文学の授業で話しをする予定の夏目漱石の『行人』を読んで時間を過ごしました。漱石の後期の作品には短編の連作という形式を取るものが多く見られます。この『行人』もそうした短編連作の形式を取っています。第1章の「友達」に出てくる潰瘍を病む「あの女」のエピソードや精神を病む「黒い瞳の娘」のエピソードは物語全体を読み解くためのメタファーとして機能しているようにも思われます。全編を通じて「人の心が分からない」というテーマが何度も変奏されるのがこの一冊でしょうか。一郎、二郎、直の三人の登場人物の中で読者である我々が一番感情移入しやすいのはやはり二郎でしょうか。
 研究室の無線LANがiPad 2でも使えるようになったので便利です。ノートパソコンの方は未だに復旧しないのですが、それほど困ってはいません。iPad 2で色々と調べごとをして時間を過ごしました。でも、そのうちにある事実に気づきました。iPad 2って結構重たいのですね。長時間手に抱えていたりすると意外と疲れたりするのではないでしょうか。
 5限の3年生のゼミではマリーズ・ブリュモン著『『星の王子さま』を読む人のために』(世界思想社)を読み進めました。今日読んだのは第4章の「次から次への出会い」の部分です。王子さまが星巡りの旅で出会う大人たちはみな自己中心的で保守主義に浸かりきっている存在です。子供の純粋な目から見ると「大人って本当に変な人たちだな」と切り捨てられてしまうような存在なのですね。今日は授業の後半ではジャック・プレヴェールの詩「バルバラ」も読んでみました。ドイツ軍占領下にはドイツの軍港となっていたブレストは連合軍の攻撃を受けて瓦礫の町となったのでした。その彼方にヒロシマやフクシマが遠望されるような気がしました。